会社を経営する中で、偉大な経営者と自分を比べてしまうときがある。
ソフトバンクの孫さんのように300年計画を持っているわけではないし、日本電産の永守さんのように「すぐやる!必ずやる!出来るまでやる!」という強い執念も持ち合わせていない。時価総額1,000億円を超えるユニコーンや時価総額1兆円を超えるデカコーンへの憧れもない。
このような志の低さでは、偉大な企業は作れず、ひいては顧客、従業員、株主に迷惑をかけてしまうのではないか、、と悩んでいた時期があった。しかし、いろいろな企業の創業エピソードを調べているうちに、偉大な企業は最初から高い志で創業されたわけではないことを知った。今日は会社経営をする上での「志」の話をしたい。
ユニクロの柳井さんは年商30億円が精一杯だと思っていた
いまや時価総額10兆円を超え、アパレル業界で世界No.1になったユニクロを展開するファーストリテイリング。代表取締役会長兼社長の柳井さんは、最初からアパレル世界No.1を目指していたわけではない。
大学生の頃は「できれば、仕事したくないな、と思っていた」そうだが、父親のすすめで大学卒業後はジャスコに就職。しかし、働くのが嫌で嫌でしょうがなくなりすぐに辞めてしまう。山口の実家には戻らずに、東京でブラブラしていたが、自堕落な生活にも嫌気が差し、家業の紳士服店を継ぐことになった。
紳士服店を経営しながら、徐々に商売の面白さに目覚めていくが、ユニクロもせいぜい30店舗が限度で、どんなに頑張っても、年商30億円が精一杯だと思っていたという。
しかし、ある日、業界紙で香港ファッション業界の中心人物の一人、ジミー・ライのエピソードを目にする。ライは自宅でクマをペットとして飼っていて、クマを車に乗せて出勤し、社長室で遊ばせている、という破天荒な生活が記事の中で紹介されていた。
それを読んだ柳井さんは
「クマと一緒に出勤するなんてどうかしている」。その次にこう思った。「なるほど、アパレルというのはこんな人でも成功できる業界なのか」。そのときに柳井さんは「アパレルという業界には可能性がある。天才でなくても成功できる。だとしたら、ひっとしたら自分も世界一になれるのではないか・・・・・・」と思ったという。
※出典:『戦略読書日記』
業界紙の特集がきっかけになり、アパレル世界一を目指してファーストリテイリングを経営していくことになる。
エス・エム・エスの創業者、諸藤さんの事例
介護・医療領域の人材サービスなどを手掛ける株式会社エス・エム・エス。2003年に諸藤周平氏によって創業され、2021年9月2日時点での時価総額は3,000億円を超える。諸藤氏は「35歳までに3億円を稼いでリタイアする」という目標で起業したという。
ベストシナリオは、35歳までに3億円を稼いでハワイに移住。セカンドシナリオが、5000万円貯めたら山中湖とかでペンションを始めてキャシュフローで生きていく。それも叶わなければ、中小企業で働こうと考えていたんです。(中略)
起業した当初は、事業を始めてから2~3年で辞めようと思っていたので、自分の後を継いでもらう経営者的な人を量産しないといけない、という意識はありました。(中略)
加えて、当時はすでに、起業前に自分のベストシナリオとして掲げていた「35歳までに3億円を稼いでリタイアする」という目標を達成できていたのに、気がつくと社長を辞めたくないという気持ちが大きくなっていました。
自己分析すると、過去に学校で表彰されたこともないのに、起業すると上手くいったこともあって、めっちゃ楽しかったんですね。感覚的には全く辞めたくない。
※出典:【諸藤周平】大企業でも倒産するから、就職ではなく「起業」を選んだ Vol.1
そんな諸藤氏は、同社の東証一部上場を果たした後に退任。2015年からシンガポールでREAPRA PTE.LTD.を創業し、新しい産業の立ち上げという高い志に向かって連続起業している。
また、最近、時価総額1,700億円で約156億円の資金調達が話題になったSmartHR。創業者で代表取締役の宮田さんは「15名ぐらいが食っていければいいよね」というノリで会社をはじめ、SmartHRを思いついたタイミングでも「これ良いプロダクトになりそうだから、1億ぐらいで会社売れたらラッキーだよね」と思っていたとPodcastで語っていた。
※出典:#139 Why aim for a unicorn(with @miyata_shoji)
しかし、事業の成長、周囲の人たちからのアドバイスや期待を受け、徐々にユニコーン企業を目指すようになっていったという。
※クラウド人事労務ソフト「SmartHR」は2015年にリリースしているが、社内のSlackに時価総額1,000億円以上の未公開企業を指す「ユニコーン」というワードが出てきたのは2017年の年末かららしい。
「遺伝子のスイッチ」がONになる
ユニクロ、エス・エム・エス、SmartHRと最初は必ずしも高い志からはじまったわけではないことを紹介したが、当然、志が低いままでは偉大な企業は作れない。
ユニクロの柳井さんが業界紙のジミー・ライの破天荒エピソードを見て世界一を目指し始めたように、エス・エム・エスの諸藤さんが事業の成長に伴い、楽しくなってしまったように、偉大な企業の経営者には志が高くなるタイミングが存在する。分子生物学者の村上和雄氏はその瞬間を「遺伝子のスイッチ」という言葉で表現している。
「遺伝子のスイッチ」に関しては、元サッカー日本代表の岡田さんの対談記事のエピソードが印象的だ。
選手たちにもそう言おうと思ってロッカールームに向かったら、みんなわんわん泣いている。引き分けだったのが悔しくて、ふだんはクールな奴らが号泣しているんだ。
「そうか、こいつらも苦しいんだ。俺やスタッフだけじゃない。こいつらもワールドカップに行きたくて仕方なくて、苦しみもがいているんだ」。そう分かったときに、「俺がやろう」と思ったわけ。だからみんなに、「お前ら、なに泣いているんだ!行けるかもしれないぞ、ひょっとしたらひょっとするぞ」って言ったんだ。
※出典:「遺伝子のスイッチ」が人を本当のリーダーに変える―岡田武史×藤沢久美 対談
志低く会社をはじめたリーダーが、何かのきっかけで「遺伝子のスイッチ」が入ると、事後的に高い志を持つようになる。つまり、創業初期から高尚なビジョンや高い目標を持っている必要はなく、志は後から育まれるもの。企業の創業エピソードを調べれば調べるほど、そう思うようになった。
以前、東証一部上場企業の創業社長と話した際、「起業家はあるタイミングで、事後的に優秀になる」という話をしていた。
ちなみに私はある会食がきっかけで会社経営における「遺伝子のスイッチ」が入った感覚がある。半ば偶然、志が高くなり、株式会社才流を長期間に渡って経営し、永続的に成長させていくことを決意した。その話も、次回か次次回で配信しようと思います。
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