『成功に必要なのは運なのか? 実力なのか?』で紹介されていたミュージックラボ実験が面白かったのと、実力と運に関して昔から考えていた仮説を言語化したので今回はそれを紹介したい。
ミュージックラボ実験の詳細は『成功に必要なのは運なのか? 実力なのか?』を読んでもらうとして、結果を要約すると“新人バンドの曲を使って成功に必要なのは実力か運かを調べたところ、一定以上の実力がないとダメだが、成功するかどうかは運次第だった”という話。
この話は、ビジネスの成功においても当てはまる気がしていて、
実力・・・仕事ができる、頭が良い、コミュニケーション能力が高い、組織を作れるetc
運・・・生まれた国、生まれた年代、興味を持った分野の市場規模/成長率、社会環境の変化、タイミング、属したコミュニティetc
でざっくり分解すると、実力がない人が運だけで成功するのは無理だと思うが(ミュージックラボ実験では独立条件で「魅力がない」とされた曲は、どの世界でも上位に入ることはできなかった)、どれぐらいの規模やスピードで成功できるかは運次第だなと思うことが多い。
時価総額1,000億円を超える知り合いの起業家は、大ヒット事業を作れた要因は「法改正があったから」だと言っていたし、別の時価総額500億円を超える企業の創業メンバーは「たまたま自分たちが興味を持っていた技術が後から市場で注目され、引き合いが増えたし、高い株価がついた。創業時には一切狙っていなかった」と言っていた。
当然、彼らは頭脳明晰で仕事ができる人たちだが、自分の知り合いには同じぐらい頭脳明晰で仕事ができる人たちはたくさんいる。
実力の差は10倍、100倍もないはずなのに、結果(ここではわかりやすく、時価総額や保有資産で定義)の差は10倍、100倍、1,000倍になっているのを度々目にしてきた。この原因を不思議に思っていたが、ミュージックラボ実験を知り、ビジネスにおいても運が決定的な影響を及ぼし、大きな結果の差は運の差なのだと捉えるようになった。
実力は正規分布。運はべき乗分布
ここからは実験結果と離れた個人の仮説だが、ビジネスにおける実力は正規分布になっていて、ビジネスにおける運はべき乗分布になっているように思う。
正規分布とは下図のようにすごく実力のある人たちと平均的な人たち、あまり実力のない人たちが平均値を中心に左右対称に分布していて、平均的な人たちが最も多いような確率分布を指す。
一方、べき乗分布とは、極端な値をとるサンプルの数が正規分布より多く、平均値や分散の概念が事実上意味をなさないような確率分布を指す。
世界の上位1%の超富裕層の資産が世界全体の個人資産の40%近くを占める、などの話が有名だが、ビジネスにおける運(生まれた国、生まれた年代、興味を持った分野の市場規模/成長率、社会環境の変化、タイミング、属したコミュニティetc)もべき乗分布になっていて、一部に偏在していると感じる。
例えば、ここ30年前後のビジネスの世界では
1950年~80年頃に生まれ
アメリカで暮らし
インターネット産業に興味を持ち
インターネット企業を創業した
人たちが天文学的な結果を得ることができた。
※マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツは1955年、Appleの創業者スティーブ・ジョブズは1955年、Amazonの創業者ジェフ・ベゾスは1964年、Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグは1984年にアメリカで生まれている
1980年頃に生まれ
日本で暮らし
インターネット産業に興味を持ち
インターネット企業を創業した
人たちと比べて、100倍、1,000倍の運の差、結果の差があったと言っても過言ではないだろう。
大きな結果から逆算すると、運の差の前では実力の差はほとんど無視できる程度に小さい。
しかし、自分も含めて多くの人たちが運を高める努力をせずに、自分の実力を高める努力ばかりをしてしまう。ビジネスにおける大きな結果の差は、実力の差ではなく運の差からもたらされるにも関わらず。
自分自身、これまで実力を高めることばかりを意識してきたが、最近はそればかりでは伸びしろが少なくなっていると感じる。後半では、そう思った理由を3つほど紹介したい。
理由1:実力は後から変えられない
1つ目の理由は、ビジネスにおける実力(仕事ができる、頭が良い、コミュニケーション能力が高い、組織を作れるetc)は意外に後から変えられないと思うからだ。
よく「他人を変えることはできない」と言われるが、同様に「自分を変えることはできない」と思っている。厳密には「他人を変えることもできるし、自分を変えることもできるが、両方とも極めて難しい」が正確な表現だろう。
過去を振り返って、自分が大きく変わったのは会社が潰れかける、組織が崩壊する、などの外的要因を受けてだったし、それも実力が上がったというより、視点や意識が変わった、という表現がしっくり来る。
当然、スキルや人間性などの実力を伸ばすための努力はしてきたが、苦手なことは大きく改善できず、最初から得意なスキルや資質を活かして、なんとかやりくりしているという印象が強い。
著名な理論物理学者、アルバート・ラズロ・バラバシが成功に対する実力と運の関係を調べた『ザ・フォーミュラ』という本がある。その中で紹介されていたツイッターユーザーのコミュニケーションを調べた研究では、最初からフォロワーとの関係を築くのが非常にうまいユーザーが存在し、そのスキルは時間とともに増加したり、減退したりしていなかったという。また、科学者のQファクター(=アイデアを形にする力)を調べた研究でも、長い研究生活を通じて、科学者のQファクターにはまったく変化が見られなかった。
身も蓋もない話だが、ある特定の能力は“所与の条件”に近く、自分の意志で能力を伸ばすのは想像以上に難しいのだろう。
理由2:運はよくすることができる
自分の実力を後から変えるのが難しいが、運(生まれた国、生まれた年代、興味を持った分野の市場規模/成長率、社会環境の変化、タイミング、属したコミュニティetc)は後から変えることができる。
例えば、成長している国や地域に行く、自分が生まれた年代に大きなチャンスがある産業に行く、その業界のトップ企業に転職する、良いコミュニティに属する、運をつかめるように時間や心に余裕を持つ、新規事業を立ち上げる、運をつかめるまで続ける、などだ。
自分の実力を高める以外でも、結果に影響を及ぼす努力は無数に存在する。
有名経営者がしばしば道徳や倫理、人としての生き方を大切にしていたり、お墓参りや神社に行くことを習慣にしているのも、実力だけではどうしようもできない領域があることを認識し、それが少しでも自分にとって良い方向に働くように(言い換えれば、運が良くなるように)努力しているのかもしれない。
理由3:運をよくする努力はアップサイドが大きい
3つ目の理由は、もし仮に運が正規分布ではなく、べき乗分布になっているなら、実力を高めるよりも運を高める努力の方がアップサイドが大きいことだ。
「人間の能力に大差はない」と言われるが、ビジネスの世界では本当に人間の能力に大差はなく、差があっても100倍、1,000倍、1万倍ではなく、せいぜい数倍だろう。
しかし、べき乗分布になっている人間の運には100倍、1,000倍、1万倍の大差がある。
であれば、自分の実力を高めるのは大前提として、運を高める努力をすることも合理的な選択肢になるだろう。
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